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映画『真田十勇士』作品情報
今回の絶対おすすめ映画は『真田十勇士』です。
映画『真田十勇士』は元々は堤幸彦演出、マキノノゾミによる脚本で舞台で上演された演目を映画化した作品です。
主演は中村勘九郎が務め、松坂桃李、大島優子なども出演し豪華キャストが顔を揃えています。
興行収入はあまり良くなかったと言われている『真田十勇士』ですが、はっきり言って面白いです。
『観てみたら超面白かった』と言う感想を持っている人も多いのではないでしょうか。
それでは『真田十勇士』の映画紹介です。
映画『真田十勇士』は2016年に公開された日本映画。
上映時間は134分。
脚本はマキノノゾミ。
監督は堤幸彦監督。
『十二人の死にたい子どもたち』『明日の記憶』『人魚の眠る家』などを監督しています。
キャストは
猿飛佐助…中村勘九郎
霧隠才蔵…松坂桃李
火垂…大島優子
根津甚八/豊臣秀頼…永山絢斗
筧十蔵…高橋光臣
三好晴海…駿河太郎
海野六郎…村井良大
三好伊三…荒井敦史
真田大助…望月歩
望月六郎…青木健
由利鎌之介…加藤和樹
仙九郎…石垣佑磨
久々津壮介…伊武雅刀
後藤又兵衛…佐藤二郎
大野治長…奥田達士
大野治房…渡辺慎一郎
毛利勝永…坂東工
長宗我部盛親…吉永秀平
本多正純…多田木亮佑
徳川家康…松平健
真田左衛門佐幸村…加藤雅也
淀殿…大竹しのぶ
商屋のあるじ…半海一晃
ナレーション…松平定知
ほか。
映画『真田十勇士』ネタバレ・あらすじ
1600年、関ヶ原の戦いに勝った徳川家康は江戸に幕府を開き、江戸幕府の初代将軍となっていました。
しかし大阪の大坂城には豊臣秀吉が遺した子である豊臣秀頼(永山絢斗)が淀殿(大竹しのぶ)とともに存在していて、家康にとって非常に邪魔な存在となっていました。
関が原の戦いから14年の時を経て、家康はいよいよ大坂城への攻撃を開始することにしたのでした。
アニメが始まります。
村人の女性を人質にとっている1人の賊がいます。この賊は名前を偽って村人から金を集めていたのですが、それがバレたために開き直って人質をとって家屋に閉じこもっていました。
そこへ1人の男が現れます。男は自分が真田左衛門佐幸村(加藤雅也)であることを名乗り、自分が代わりに人質になるのでその女性を解放するように賊に言います。
有名な真田幸村の方が人質としても役に立つだろうとさらに付け加えました。名刀である村正を腰から抜いて床に置き無抵抗の姿勢を示しました。
賊は頭を働かせています。真田幸村と言えば策略において天下一とうたわれている男です。
そんな幸村がおとなしく人質になるということは何か裏があるに違いないと睨みますが、賊は考えても幸村の作戦が読めず、「おいらの負けだ!」といって降参しました。
幸村は「またか」と呟きます。
幸村は賊に対して「いつもこうじゃ。何も考えてなどいないのに勝手に策を練っていると思われる。この顔がそう思わせるんだろう。顔がいいのも悩みものだ」と話しました。幸村は策略の天才と噂されていることに困っている様子でした。
これを聞いた賊は自分の素性を明かしました。賊は猿飛佐助(中村勘九郎)だと名乗ると幸村に家来にしてくれるよに頼みます。
嘘を真にしてしまえばいいと佐助は幸村に言い、佐助は幸村に家来になりました。
山賊が佐助の前に現れ、門の上にはさらにもう1人いました。
上にいたのは霧隠才蔵(松坂桃李)で山賊らしき2人は三好晴海(駿河太郎、)三好伊三(荒井敦史)でした。佐助は才蔵に小声で話をし、3人を仲間にしました。
佐助は腕の立つ人物をどんどん集めていくことを思い浮かびます。
次に仲間になったのは幼い頃から戦に出ている槍の名手、由利鎌之介でした。
これで仲間は5人になりました。
佐助と才蔵は里を脱してきた忍者でした。そのため久々津の追手に追われている立場です。そこにお姉言葉を話す筧十蔵(高橋光臣)が助太刀に入ります。十蔵も仲間に加わりました。
幸村には息子の真田大助(望月歩)がいました。大助と共に大助に剣術を教えていた望月六郎(青木健)も仲間に加わります。
さらに佐助はメガネをかけた勘定方の海野六郎(村井良大)も仲間に加えます。
海野は剣術などに長けていませんでしたが、佐助は「あんたでいいや!」と言って妥協して仲間に加えたのでした。
これで9人の勇士が集いました。真田九勇士というタイトルがでます。(まだ10人ではない。)アニメーションの描写から実写へと変わっています。この時の映像がかっこいい。
淀殿から幸村に兵を出すようにとの書状が届きます。
幸村は迷っていましたが家来を引き連れて大坂城に向けて出発しました。
佐助の策略で幸村には腕利きの家来が揃っているという噂が広がっていて大坂城に着いた幸村たちは歓迎されました。
城内で秀頼、淀殿の居る中で会議が開かれています。
幸村は天井から糸で耳栓らしきものが降りてきたことに気が付き耳に差し込みます。
天井裏では佐助と才蔵が潜んでいました。糸電話方式で佐助は幸村に発言の内容を指示します。
幸村は策略家として名が通っているので後藤又兵衛(佐藤二郎)から意見を求められます。
佐助は指示を出して幸村はその通りに喋っています。
幸村の発言に皆が関心しています。しかし城の警備の甘さを指摘した佐助の言葉を幸村がそのまま言ってしまい空気が緊迫します。
場をとりなすために佐助は大坂城の南側に真田の出城を築き敵の攻撃を食い止めるアイディアを伝えます。幸村がその通りに発言すると秀頼はこの案を気に入り出城を築く許可を出しました。
天井裏では才蔵が「適当なことを言うな!」と佐助に怒っていました。
佐助と才蔵はまたもや久々津の追手に襲撃されます。追手の中には2人と仲が良かったくノ一の火垂(大島優子)がいました。
火垂は佐助と才蔵に「なぜ自分も連れ出してくれなかったのか」と怒りを露にしました。
久々津壮介(伊武雅刀)は去り際に、豊臣に勝機はないと才蔵に告げていきました。
才蔵は久々津の人間たちに相手にされていましたが、何事も適当に見える佐助は相手にされていない様子でした。
一か月以後。
真田軍の出城『真田丸』が完成します。
その頃町では真田の勇士の名をかたってただ飯を食べたり金品を集めている男がいました。その男が捕まり連れてこられています。
根津甚八(永山絢斗)という百姓は元は武家だったと言い、九勇士に対して「お前らは運がいいだけじゃねえか」と悪態をつきます。甚八の見た目は秀頼にそっくりでした。
甚八は刀を抜いて戦おうとしますが、剣の腕はまったくで歯が立ちません。才蔵が命を奪おうとしたところを佐助が止めます。
佐助は「いっそ本当の勇士になってしまえばいい。九勇士じゃゴロが悪いしな」と言って仲間に入れることにしました。才蔵は難色を示しますがひとまず納得します。
これで晴れて「真田十勇士」となりました。
その様子を見ていた幸村は意見を求められると思っていたのに何も聞かれなかったので寂しい気持ちになっていました。
三好晴海、伊三は「ゴロ」の意味がわからずに困惑してました。
(『真田十勇士』のタイトルがここでようやく出ます)
1614年、家康は20万の大軍を率いて大阪に向かっています。豊臣を滅ぼして戦国時代を終わらせるためです。対する豊臣軍はこの半分ほどの兵力しかありません。
大阪冬の陣がはじまります。
家康は真田の出城を見て「あれが真田の出城か」と呟き攻撃を開始しました。
真田軍は作戦を練っていて徳川の攻撃に動じることなく迎え撃ちます。
徳川をひきつけて油断したところを一斉に鉄砲で射撃します。さらによじ登ってくると徳川の兵士には落石で攻撃します。
さらに火薬を使った攻撃を見せ、裏門から乗り込んできた兵士たちとは肉弾戦となりますが真田軍が優勢に立ちます。
真田十勇士はものすごい活躍を見せますが、甚八は本物の戦にビビり、震えながら隠れて戦況を見ているだけでした。
徳川は一旦撤退を選びました。はじめの戦は真田軍が見事に徳川軍をはじき返したのでした。
この戦いで幸村の息子である大助が腕に怪我を負ってしまいます。手当をした大助に甚八が近づき「これで怪我を言い訳に戦に出ないで済むな。」と嫌味を言いました。
すると海野が「君が隠れて震えていたのをみんな知っている。知っていてみんな言わないだけなんだ」と甚八に言いました。
三好兄弟は盛大に笑っています。甚八は恥ずかしくなりその場をあとにしました。
大助は正直ほっとしている自分もいますと心の内を打ち明けました。鎌之介は「それが普通だよ」と大助を慰めました。
夜が明けました。
徳川軍は本気を出すと言わんばかりに攻撃を仕掛けてきます。
大砲を持ち出してきた徳川軍でしたが真田軍は迅速にこの大砲をつぶし応戦します。
真田軍が徳川軍をおしていき、ついに退けます。佐助はさらに攻撃を仕掛けようと、攻撃の合図となる火薬玉を投げて爆発させます。
しかしいざ佐助たちが攻撃を仕掛けようとしたところに別地点の火薬庫が誤爆発を起こしそこから徳川軍が押し入ってしまいます。
仕方なく応援に向かう真田軍。才蔵は忍術で空を飛べるので佐助を連れて駆け付けます。
真田軍が応援に来たことで徳川軍を押し返し、徳川軍は撤退し、大阪冬の陣は真田軍の勝利で終わりました。
豊臣側に徳川軍から和議の申し出が入ります。会議でそのことを話している時に相変わらず耳栓糸電話をつけている幸村は才蔵から条件を聞くように言います。
条件は大坂城の外堀を埋めることでした。
徳川はその後手出しをしないことは約束するとのことでした。堀を埋めれば警備は甘くなり、徳川のことを信用できない家臣たちはこの和議に対して一斉に不服を申し立てます。
しかし淀殿はこの和議を受け入れることを決定し、会議は終了となりました。
由利鎌之介が佐助と才蔵を呼び出します。
佐助の合図と共に他の場所でトラブルが起きたことがいくら何でもタイミングが良すぎること、誰か内通者がいるのではないかと危惧して相談してきたのでした。
真田十勇士のメンバーのことを信頼している佐助はありえないと怒って去っていきます。才蔵は鎌之介に「あんたの勘はあてになる」と話しました。
1614年12月、豊臣側は徳川の和義を受け入れて大阪冬の陣は幕を閉じました。
年が明けた1615年には大坂城の堀を埋める作業も完成しました。
火垂が才蔵に密書を送ってきます。その書状を読んだ才蔵は「豊臣は徳川に勝てない」と言われていたことに納得をしたのでした。
1615年5月、大坂城にいまだに浪人たちが滞在していることを理由に徳川は謀反の大義名分のもと再び大阪に兵をあげて攻めてきます。大阪夏の陣の始まりです。
後藤又兵衛が討ち取られました。その知らせが佐助の元にはいってきます。
今回の戦がかなり厳しい戦になるであろうことは誰もがわかっていました。
戦を目前に控えた夜、輪になってお酒を飲んだりして思い思いに自分のことなどを話していました。誰もが死を覚悟していました。幼い頃から戦に出ていた鎌之介は生まれ変わったら戦のない世で生きてみたいものだと話していました。
佐助は火薬の調合をしながら、どうにかして幸村様にもう一花咲かせてあげたいと考えていました。佐助は幸村と淀殿が心では惹かれ合っているのも知っていました。
真田十勇士の絆は確実に深まっていました。
そこへ幸村がやってきます。幸村は息子の大助にすべてを話したと話します。大助は父親の幸村が天下の策略家だと信じていました。
幸村はいつも何も考えていなくて偶然で成果を出してしまい噂が独り歩きしてしまっていることを話したのでした。
佐助は大助の受けたショックをおもんばかり大助の元に行こうとしますが、幸村に1人にしておいてくれと止められます。
幸村は決意表明をしました。「明日本物になって家康と刺し違えたい」と宣言しました。そして幸村自身の考えた策をみんなに伝えます。
作戦を聞いた佐助は素直に「すごい」と評価し、才蔵も作戦を聞いて勝機を見出しました。大助も聞いていて父親はやはり本物だと確信しました。
幸村は大助に自分が果たせなかった時は代わりに果たしてくれと頼みました。
大助はこの言葉が嬉しく号泣してしまいました。
十蔵が用を足しに席を立ちました。用を足している十蔵の後ろに徳川側のスパイの忍者仙九郎(石垣佑磨)が現れます。
十蔵はこれ以上は情報を与えられないと仙九郎に言います。そして「俺はあいつらが大好きになってしまったからもう力にはなれない。金は返す」と言って金の入った袋を仙九郎に投げました。
十蔵が裏切り者でした。仙九郎が十蔵を亡き者にしようとして2人の戦いが始まります。
十蔵がピンチになったところで才蔵が間に割って入り「仙九郎、ここは退け」と言います。2人はかつて知り合いでした。
他の十勇士も現場に来ていました。才蔵は裏切り者の十蔵を始末しようとします。
しかし佐助が「十蔵が内通者だったことをウソにするっていうのはどうよ」と言います。そしてやはり九勇士じゃゴロが悪ということで十蔵は無罪放免になりました。他の者もそれを望んでいました。
夏の陣、徳川が16万の兵で攻め込んできました。豊臣側は7万の兵力です。
真田軍は勇猛果敢に徳川軍に突っ込んでいきます。
幸村を家康の元まで行かせるために十勇士が幸村を守る形で前進していきます。
幸村の横で剣術の苦手な海野が討たれます。海野は幸村に仕えられて幸せだったと告げます。
幸村は涙をこらえながら「先に行って待っていろ」と海野に言いました。
鎌之介と十蔵も討たれます。しかし2人はそれでも戦い続けます。
背中を合わせ楽しかったなと言いさらに闘い続けます。
十蔵が鎌之介の近くに再び行くと鎌之介は立ったまま絶命していました。鎌之介が絶命していることに気が付いた十蔵は後ろから仙九郎に討たれて絶命しました。
佐助は闘いながらあたりを見渡し、仲間が倒れていくのを見て叫びさらに敵をなぎ倒していきます。仙九郎と才蔵の一騎打ちが始まり、才蔵が勝利を収めました。
ついに馬印(大将が近い証拠)の近くまでやってきました。
幸村と大助は家康が視界に入りさらに前進を続けました。
しかし家康の周囲には鉄砲隊が控えていて、幸村と大助に向けて一斉に発砲しました。
幸村は大助を庇い撃たれます。そして大助も絶命し幸村親子は思いを遂げるができず絶命してしまいました。
幸村は駆け付けた佐助に秀頼と淀殿をお守りするようにと伝えて息を引き取りました。
大坂城は攻め込まれて徳川軍は秀頼を探しています。
生き残った十勇士たちは城の火薬庫に秀頼と淀殿を連れてきています。
逃がす算段を話している時に、才蔵が「この女だけはどうしても許せない」と言いだします。
淀殿は家康と繋がっていて、秀頼の命を助けることを条件にやり取りをしていたのでした。火垂が才蔵に送った密書はその書状でした。
家康は豊臣につく武将をまとめて始末できるように淀殿に集結するように指示していたのでした。
壮介や火垂をはじめ徳川の久々津の使者たちがすでにこの火薬庫に潜んでいました。密書のことを知った以上は生かしておけないと告げます。
才蔵は淀殿と火垂を斬り捨てました。三好兄弟に止められていた佐助はその光景を見てブチ切れて三好兄弟を斬り捨てます。才蔵と佐助が斬りあい、2人の闘いは相討ちとなり2人とも絶命してしまいます。
久々津側は手間が省けたと喜び、火薬庫に火を放ちます。
しかし火垂は才蔵にとどめを刺せという命令に背き、そのまま才蔵とこの場で命を落とすと言い張りました。火垂の父親の壮介は娘の愛を許してやり、火垂を残して久々津は撤退していきました。
全員が起き上がります。秀頼は実は甚八でした。甚八は迫真の演技だったと褒められています。
すべて芝居でした。佐助たちは秀頼と淀殿を逃がすために大芝居を打ったのでした。三好兄弟ももちろん生きていました。
本物秀頼は自害すると言ってきかなかったため才蔵が薬で眠らせて箱の中に入れていました。
こうちしゃいられないと用水路から逃げ出そうとしますが、淀殿はこれまで死んでいった者たちのことを考えてこの場に残ると言いました。
佐助は淀殿に「幸村様と来世ではうまくやりなよ」と言葉をかけました。淀殿の前には迎えに幸村が現れました。
小舟に乗り用水路を通って城外に出ます。町はパニックになっていて佐助たちは無事に脱出することに成功したのでした。
船が大海原を航海しています。秀頼が海を眺めています。佐助がやってきて秀頼に「お母さんは立派な最期だった」と言葉をかけました。
一行は薩摩を目指していて、秀頼は母親のことではなく芋のことを考えていた。薩摩と言えば芋だからと佐助に言います。佐助は「もしかして甚八か?」と言い、甚八は「バレたか」と言いはしゃいでいました。
そこに才蔵が神妙な面持ちでやってきます。才蔵は佐助に「なにか火垂に吹き込んだか?」と聞きます。
佐助は火垂を味方につけるために才蔵からの伝言と言って『いっそ俺の女房になればいいのに』と伝えていたのでした。
才蔵は勝手に話をでっちあげた佐助に怒ります。火垂がこのやり取りを聞いていて「嘘だったの?」と言って2人に向けて吹き矢を構えました。
才蔵は本当だと言い直しますが火垂は怒って2人を追いかけまわしていました。
三好兄弟も船内から出てきました。明るい声が響き渡る中、船は進んでいきました。
再びアニメーション描写。
薩摩に辿り着いた佐助たちは十勇士の募集を行うために演劇を行うことにします。一座の名前は「嘘か真か真か嘘か一座」です。
劇団員を募集しますがなかなかいい人材に巡り合えません…。
そこへ命を落とした者たちにそっくりな漁師たちがやってきて…。
結末は本編をご覧ください。
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映画『真田十勇士』感想・評価
映画『真田十勇士』は結構不評の声を聞く映画なのですが、実際に鑑賞してみるとそんなことは全然なく、非常に楽しめる映画になっています。
脚本が非常に面白いですし、堤幸彦監督のセンスもふんだんに入っている映画となっています。
たぶんですが、面白くなかったと感じた人は思っていたイメージと違ったのかなと。なので真っ白にして鑑賞することをおすすめします。
笑いどころも多いし感動もするし、『真田十勇士』はかなりのエンタメ映画です。
中村勘九郎さんは他に演じる役者が思い浮かばないほどに猿飛佐助にハマっていてとっても魅力的でした。最高でした。
松坂桃李さんもよかったし大島優子さんもいいし、加藤雅也さんは本当に綺麗なお顔をしているのでこの『真田十勇士』の真田幸村に本当にぴったりでした。
海野を演じた村井良大さんもすごく良くて、海野が討たれた時の幸村とのやりとりは思わず涙してしまいました。
そしてオカマキャラの十蔵を演じた高橋光臣さんも超面白かったです(笑)
『ノーサイドゲーム』のキャプテンですからね、本当に役によってガラッと変わりますね。
加藤和樹さんもとても深みのある演技を見せてくれていました。
映画『真田十勇士』は本当に面白いので、評判に惑わされずに一度観てみて頂きたいです。
心からおすすめです。ぜひ。
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